2018年09月25日
「氣づく」という事。
主にスピリチュアルや心理系の

いろんなブログに目を通していると
「今日も大きな氣づきがありました!」
という言葉をよく目にします。
今日氣づいたのですが、この言葉に自分は…
「それはそこまで色んな経験したからだろうな〜」
「そりゃそんな仕事してたら氣づきを探すよな〜」
とか、かなり他人事で傍観者的で性格の悪い(笑)
見方をしてたんだなぁーと…氣づきました(笑)
そういう目線でみるから、そりゃ量子的にそうなる(笑)
そこには
「自分とは違うからできないや」
「関係ないや」
「すごいなぁ、羨ましいなぁ」
的な、エゴな存在が満載ですね( ͡° ͜ʖ ͡°)
それが駄目って事じゃなくて…
[氣づける事に氣づけない]
そこに氣づかない自分でいると
いつまでもその状態をループしてしまう自分がいるのと
変わりたい!と思ってる自分がいても
「自分には無理かも…」
という自己卑下を無意識に
いつまでも繰り返してしまう
事なんじゃないかなって。(-.-;)y-~~~
でも、「氣づく」事って
実は、今、目の前に、いつもある
って思ったんです。
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今日息子が私のスマホで
「アンパンマンみたい!」と言ったので
私「いいよ、だけどもう少ししたらコインランドリーいくから、
ひとつだけ見たら返してね。」
と言って、息子を信用して待つ事にしました。
だけどその間、何度もチラチラ息子を
「本当に返すのか?」と何度も監視(笑)
全然信用してない。
監視してるから
量子的に[返してくれない息子]確定中(´・_・`)
案の定返さない。
イライラする。少し猶予を与えて(何様?(*゚∀゚*))
私「じゃあ、今見てるの見終わったら返してね」
平然を装っても、氣になる。またチラ見する。
やっぱり返さない。
さっきよりイライラ、今度は怒る、怒鳴る寸前…
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こんな事ってよくありませんか?(笑)
これ内観してみたら
「約束したのに守ってくれない!」
↓
「裏切られた…」
「悲しい…」
という構図。
イライラとか怒りの根底には
[悲しい]
があるんですよね。
今まであまりそう思ってなかったけど
[勝手に被害者してる]
こういう時って…あら?結構多いんじゃないか…って事。
ふとそう思ったんです。
いやー、氣づいてなかった。
自分は楽観的だと思ってたから(^^;;
目の前で起こる事(外側)は
自分の内側を写しだしてる事かもしれない。
その時々で
「その感情受け止めてね〜」
「悲しいよね〜」
「自分責めしなくていいよ」
ってわざわざ教えてくれてるのに
自分で自分を抱きしめる機会を与えてくれてるのに
それにフタをしてないものにしようとしてた
って事なんだなぁー。
なんでそれを悲しいと思うかは人それぞれなので
今回は置いときますが…
悲しい、と感じた時
胸がちょっと締め付けられる感じと
目の奥がズーンとする感じ
がしたので、目を閉じながら、胸をトントンしながら
「悲しかったんだよねー。でも大丈夫、大丈夫…」
と呼吸しながらじーっくりそれを味わいました。
身体感覚にフォーカスしながら。
時間はかかったけど
だんだんだんだん怒りが薄れてきました。
しばらくすると
息子「はい、パパ」
とスマホを自分で返してくれました…!
これは偶然?
もう飽きたから?
何度も言ったから氣にしたのか?(笑)
でもスッキリした氣持ちになって「ありがとう」
って息子に言えた自分がいました。
本っっ当に
日常の些細な事だったんですが
些細な事にこそ氣づきが隠されてるんだなぁー
そう思った瞬間でした。
自分を大事にするってこういう事かも。
揺さぶられたら
立ち止まってみよう。
「大丈夫だよ」
って自分に言い続けていこう。
過去の出来事で
勝手に人を責めたり
自分を責めたり
そういうクセがついていても
今、この瞬間から未来は選べる。
自分という最高のパートナーを
大切にしよう!!。✌︎('ω')✌︎
じんわり、やんわり…
そう思った今日でした。^ ^
今日もお付き合い下さってありがとうございます!
